(核リポート)原発のごみ へき地に押しつければいいか
要旨:
どれだけ車を走らせたことだろう。時間にするとモンゴルでは10時間以上、鹿児島県では2時間、青森県では1時間。「原発のごみ」の処分場とうわさされる土地まで、片道でそれだけの時間がかかった。その距離が意味するのは、人の少ない「へき地」であれば、「原発のごみ」を受け入れてもらいやすいはずだ、という国などの思惑があるということだ。「プロメテウスの罠(わな)・原発のごみ」の取材で実感した。
特集:核といのちを考える
モンゴル東部のマルダイという土地にあるウラン鉱山は、旧ソ連時代に開発されたが、ソ連崩壊後にさびれた。この鉱山跡に向け、四輪駆動車と運転手を確保し、首都ウランバートルを出発した。道路が整備されていないため、草原の中のわだちをたよりに向かう。直線距離だと約600キロだが、実際には800キロ以上走った。
見渡す限り草原である。たまに遊牧民独特の移動式テント住宅「ゲル」を見かける。そうして、鉱山跡に到着した。探鉱で出た地下水の池が目印だった。その地下には長い坑道があり、モンゴルの市民運動家らは、その坑道が使用済み核燃料の貯蔵・処分場として使われるのではないか、と疑っている。
毎日新聞が2011年5月に、この貯蔵・処分場計画をスクープしたのだが、関与しているとみられる経済産業省はだんまりを決め込んでいる。
だが、日本などの原子炉メーカーにとって、「原発のごみ」の捨て場の確保が重要な課題になっているのは間違いない。原子炉を輸出しようにも、その相手国が「使った後の燃料の引き取りもしてほしい」と求め始めているからだ。
だから、日本などの原子炉メーカーが、広大な国土を持つモンゴルにそれを、というもくろみを持っておかしくない。モンゴルもそれで膨大な外貨を稼げるのだから、悪い話ではないじゃないか――
しかし、ちょっと待て、と言いたい。
よその国の土地を、「原発のごみ」の捨て場に、との算段で原子炉を売る商売は果たして倫理的なのか。放射能が無害になる10万年後まで、その危険性をどう伝えるのか。その間、放射能漏れなどがあったとき、処分場を持ち込んだ原子炉メーカーの「今」の経営者らは、どう責任を取るのか。
下北半島の付け根にある青森県六ケ所村は、三沢空港でレンタカーを借りて向かうと1時間ほど。青森空港からだと2時間の距離にある。ここに、使用済み核燃料の再処理工場など核燃料サイクル施設がある。
村の中心部に来ると、核燃サイクル施設を運営する日本原燃などのきれいな社宅が並ぶ。すでに日本原燃の企業城下町である。
この取材の過程で、ドキュメンタリー映画「六ケ所村ラプソディー」を見るとともに、鎌仲ひとみ監督に話を聞いた。この映画に、鎌仲監督のスクープといっていいインタビューがある。相手は東電の原発事故時の原子力安全委員長である班目春樹・東大大学院教授(インタビュー当時)。
鎌仲監督に「日本に核廃棄物を受け入れる場所がありませんよね」と問われた班目教授はこう言う。「最終処分地の話は、最後は結局おカネでしょ」「受け入れてくれないとなったら、お宅にはその2倍払いましょう。それでも手を挙げてくれないんだったら5倍払いましょう……どっかで国民が納得する答えが出てきますよ」
六ケ所村で反核燃運動を続けている方によると、「六ケ所村はもう、なしくずし的に最終処分場も歓迎という感じになっている」という。班目教授の言うような形でコトは進んでいくのだろうか。
再処理工場の完成は、装置の不具合などで遅れ、いまは2014年10月とされている。再処理をすると放射性物質を含む気体がフィルターを通して大気中に出る。東京から直線距離で約600キロ。都会の人間は知るまい。
果たして、これが倫理的と言えるのか。
九州南端の鹿児島県南大隅町。放射性廃棄物の処分場計画がここ数年持ち上がり、町を揺るがしてきた。交通網に乏しいので、こちらも鹿児島空港でレンタカーを借り、自ら運転して向かうしかない。桜島を横目に2時間余り、一般の道路を走った。
過疎が著しい。前町長に話を聞いたが、産業振興として考えられたのは産廃処分場ぐらいしかなかったという。そんなときに、ある会社経営者が放射性廃棄物の処分場の話を持ち込んできた。その経営者に連れてこられた六ケ所村の元村長が、核燃サイクル施設を受け入れた結果、六ケ所村では道路や港湾の建設が進み、雇用もうまれた、と語ったという。
前町長はふりかえる。「貧乏もこれまでだ、みなで一緒に赤信号を渡ろうという気分になりました」。またしてもカネである。
鹿児島県知事の反対でこの話は一度は頓挫するが、東京電力の原発事故のあと、現町長が福島の汚染土の受け入れを環境相から打診されていたと、TBSが特報した。
「豊かになる」という夢をエサに、しつこく釣ろうとしたのだ。ここは大阪からだと直線距離で約600キロだ。東京からだと約1千キロである。
都会から遠く離れたへき地で、「原発のごみ」をめぐって、そんな非倫理的なことが行われている。電気を大量に使う都会の人々は、こうした事態をもっと知らねばなるまい。
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こもり・あつし 千葉、静岡両支局、名古屋・東京の経済部に勤務。金融や経済産業省を担当。ロンドン特派員(2002~05年)として世界のエネルギー情勢を取材。社内シンクタンク「アジアネットワーク」でアジアのエネルギー協力策を研究。現在はエネルギーや環境担当の編集委員。著書に「資源争奪戦を超えて」、共著に「失われた〈20年〉」、「エコ・ウオーズ~低炭素社会への挑戦」。(編集委員・小森敦司)
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