モンゴルを核のゴミ捨て場にするな! 目の前の電力供給より、永遠に続く放射能被害を見据えよ
目の前の電力供給より、永遠に続く放射能被害を見据えよ
1月16日、四ツ谷駅近くのカトリック麹町イグナチオ教会で小さな会が開かれた。「モンゴルを世界の核のゴミ捨て場にしていいのでしょうか」と題されたその会では、モンゴル学者である芝山豊・清泉女学院大学教授とモンゴルの緑の党のL・セレンゲ元党首による講演が行われた。
1月14日から15日にかけて横浜で行われた脱原発世界会議に参加したついでに企画された講演会である。講演内容は、芝山教授による日本との関係をウラン開発と結びつけたモンゴルの概説と、セレンゲ元党首によるモンゴルの環境問題の現状であった。
日本の新聞が報じなかった「脱原発世界会議」
今年1月14日、横浜で行われた脱原発デモには2000人が参加した〔AFPBB News〕
非常にささやかな講演会であったため報道されることはなかったが、30カ国から1万人が参加したとされる脱原発世界会議に関しても、日本の主要な新聞社ではほとんど報道されなかったことを記しておかねばならないだろう。
核廃棄物の処理場を作るという問題は、モンゴルにとって非常に大きな問題であった。
「アジアの核廃棄物はモンゴルへ?」と題する記事が日本語版ニューズウィークのサイトに載ったのは、2011年4月1日のことである。
その段階では、米国とモンゴルとの協議は初期段階であると報じられている一方で、米国務省原子力エネルギー安全保安部のストラトフォード氏が「使用済み核燃料の貯蔵施設が中央アジアにできれば、原子力発電所の放射性廃棄物の処理に困っている台湾や韓国にとって朗報となる」と語ったことが報じられている。
3月11日、東日本大震災後起こった福島第一原子力発電所の問題がモンゴルでも大きく取り上げられる中、最悪とも言えるタイミングであった。
この時点では日本の名前はない。しかし5月には、日本がこの計画に関与していることが明らかになる。
毎日新聞およびウォールストリート・ジャーナル日本語版は、5月9日、日米両政府が核廃棄物管理に関してモンゴルと協議していることを認めたと報道、処理施設の問題は日本とも結び付けられることとなった。
モンゴル語版「ロシアの声」のウェブサイト上で同じニュースが5月9日に流れていたことが確認できる。なお「ロシアの声」では、毎日新聞を引用したうえで、福島での原子力発電所の事故を受けて協議が一時中断していると報道している。
5月10日には中国のメディアに対し、核エネルギー局のエンフバット局長(ニュースではエンヘバトという表記もあり)やザンダンシャタル外相などが、核処理施設の建設を否定した。
とはいえ、この問題はこれで終わりではなかった。6月、エルベクドルジ大統領がオバマ大統領と会談し、この交渉が一歩前に進んだとの報道があり、問題が再燃する。
7月には、ロイターや共同といった通信社より、5月の協議において、米ウエスティングハウス(WH)を子会社に持つ東芝が、使用済み核燃料などの国際的な貯蔵・処分場をモンゴルに建設する計画を盛り込んだ新構想を推進するよう要請、水面下で対米工作を進めているとのニュースが流れた。
なお、東芝はこの報道を否定している。
2011年夏は日本以外の主要各国の要人が資源獲得のためモンゴルを訪問したが、8月に米国のジョン・バイデン氏がモンゴルを訪れた際に、計画に反対するモンゴル人団体がデモを行っている。
国連で核廃棄物処理場の建設反対を表明
9月中旬には、エルベクドルジ大統領がこの問題に関する大統領令を発表。共同通信は、その内容が、大統領、首相、国民大会議(国会)議長で構成する国家安全保障会議の許可なく、同計画をめぐり外国政府などと接触することを禁止するものであると伝えている。
9月21日、国連総会でもエルベクドルジ大統領は 「モンゴルに核廃棄物処分場を建設することは絶対に受け入れられない」と表明した。
駐オーストリア大使兼国際原子力機関(IAEA)およびウィーン国連機関モンゴル常任代表のエンフサイハン大使も、IAEA総会で「他国の核廃棄物を受け入れる考えも、処分場を建設する考えもない」との発表を行ったことが伝えられている。
10月の中旬には正式に断念したことが報道された。
このような施設をモンゴルに建てようと計画された1つの原因は、国土が日本の4倍近いのに人口が270万と少ないからであるようである。
多くの土地があるように見えるのは農耕文化的な視点で土地を見ているからであり、遊牧という形態で季節ごとに決まった条件の土地を移動し、痩せた土地を最大限利用する視点からは、処理施設の建設によりその移動が断ち切られる可能性が見えることは、あまり理解されていないだろう。
もちろん、経済や技術的な基盤がまだそれほど強いとは言えないモンゴルの足元を見た計画であるとも言えるのかもしれないが、これは大国の事情であり、モンゴル国自身の事情も考慮しなければならないだろう。
2008年末、政治、経済の動向を調べるためモンゴルに長期滞在したが、その際に、世界有数の銅鉱床が存在するオユー・トルゴイの開発に関する問題が解決した後は、いよいよウランだという話をあちこちで耳にした。
実際、2009年には今後の原子力エネルギー開発の計画が作成され、2009~2011年を法的な整備の段階、2012年からは政策を実行する段階と位置付けている。
そして、ウラン鉱床の開発と原子力の利用政策を打ち出した。IAEAの試算で、推定140万トンの豊富なウラン資源がモンゴルには存在すると言われている。
火力に頼るモンゴルの電力供給
現在、モンゴルの電力供給はほぼ火力発電に頼っており、足りない分をロシアから買っている状況である。
モンゴルの国内電力需要を満たし、計画的な停電を実施せずに安定供給するためには、モンゴルで取れる資源を活用すべきであると考えるのは自然な思考であり、積極的な政策を打ち出した原因であろうと推測される。
ウラン鉱床開発にはロシアをはじめ、中国、フランス、日本などが関心を示し、積極的にモンゴルへの働きかけを行っている。
すでに2009年の報道などを見てもロシアが一歩リードと見られていたが、その後、フランス、日本、米国なども活発に活動している状況であった。
2009年4月にはエルバラダイIAEA事務局長がモンゴルに招かれ、同機関のモンゴルにおけるウラン開発や原子力発電の分野だけでなく、放射能を利用する医療分野などにおいての協力を要請したとの報道があった。
なお、原発の開発はイランや北朝鮮に関する報道を見ても分かるように、核兵器の開発が行われるのではないかという懸念がついて回るが、この点についても、モンゴルは慎重に進めていた。
1992年、国連においてモンゴルは核兵器を持たないことを宣言し、中央アジア諸国と連携して非核兵器地帯をつくることを模索したが、国境を接していないとの理由で果たせず、単一国家での非核兵器国家宣言を行うにとどまった。
この当時、国連大使として活躍していたのが、先述の駐オーストリア大使IAEAおよびウィーン国連機関モンゴル常任代表のエンフサイハンである。
彼が交渉の最前線に立つことで、モンゴル側には原子力の平和的利用を最大にアピールする狙いがあったように思える。
彼がオーストリアにおいてIAEAの常任代表になった2008年5月(駐オーストリア大使就任は同年9月)であったが、すでにその頃から、原子力利用へのシフトが始まっていたと言うことができよう。
レアアース問題で日本の関心高まる
なお、モンゴルは北朝鮮と外交関係を持つ国の1つであるが、北朝鮮の核兵器開発には懸念を示している。
もちろん、ウランを採掘し輸出するのには、大きなリスクを伴う。
南北を中国、ロシアという大国に挟まれ、多くの需要が想定される中国という隣国への輸出は、核兵器への製造に利用されて、その影響がモンゴルにはね返ってくる可能性があり、開発に多くの国を巻き込み、国家の安全保障と絡めたいという思惑が存在するのも理解できる。
そのうえで日本は重要な位置にいる国の1つだったのだが、日本政府も企業もそれほど理解しているようには思えなかった。
風向きが変わったのは、レアアースの問題が浮上して以降である。中国が輸出に制限を加える措置を取った後に注目された国、それがモンゴルであった。
この時期にモンゴルが積極的に日本などに自国にあるレアアースをアピールしたのには、経済的な目的と同時に、上記のような安全保障上の思惑があったと考えている。
2010年11月にモンゴル大統領が来日し、菅直人前総理と会談した際にも、総合的パートナーシップを戦略的パートナーシップに格上げし、総合的な協力関係を築くことを表明している。
また、11月16日に東京大学であったエルベクドルジ大統領の講演においても、モンゴル国の電力の安定供給を確保するために、これまでに実施された日本側の協力を高く評価するとともに、エネルギー関連分野において日本との協力を積極的にさらに進めたいとの希望を表明しており、原子力の分野においての協力が進みつつあった。
そして3月11日を迎えるのである。
ウラン鉱床を多く抱えるモンゴルにおいて、それが利用できるとすれば、経済的にもそして国内の電力供給においても大きな効果をもたらすことになる。
ウラン鉱床に近づくと射殺される
しかし、福島の原発事故によって、その開発には大きなリスクが伴うという知識が共有された現在において、モンゴル国民の多くは原子力開発に反対している。
昨年4月から9月まで、日本語でも確認できる核廃棄物処理場の問題はモンゴルでも大きく報道され、それでも推進しようとする人々がいたが、9月の時点で、大統領とIAEAとの交渉役が相次いで反対であることを述べた現在においては、動きは止まっていると考えてよさそうである。
ただし、この記事を執筆している時点でエンフサイハン駐オーストリア大使はまだその地位におり、今後どうなっていくのかを予想するのは難しい。
ずいぶん前になるが「ノモンハン事件から70年、ロシアに寄るモンゴル」という記事を書いた際に、モンゴルにあるウラン鉱にモンゴル人が近づくと銃撃されたという記事を書いた。
実はそのウラン鉱の周りの植物の中には、スリーマイル島周辺を想像させる異常な大きさのものがあると聞いたことがある。
そのウラン鉱はモンゴルの東部にあるが、国境を越えてロシア側にもウランが採掘されているところがある。その近くにはやはりモンゴル系の人々が住む街があるが、チタに住む医者の話では、ガンの罹患率が異常に高いとのことである。
同じように、モンゴルと北で国境を接するロシアのブリヤート共和国東南部にあるウラン鉱の周りにも健康被害が広がっているとの噂を聞いている。
体系的にこれらの被害状況が確認できないのは、そのような調査ができない状況だからだそうであるが、いずれにせよ、モンゴルも開発するとなったら、それに伴う周辺の健康被害も覚悟しなければならないだろう。
そのようなリスクを背負ってモンゴルがウランを開発すべきかどうか、環境や観光、そして恐らく唯一、遊牧社会からスタートしたユニークな人々の視点からも議論し、見直されるべきであろう。
廃棄物処理場の時にも想像したが、その影響は春に来るゴビの黄砂とともに(すでに北京上空などで有毒物質を「吸い込んでいる」との情報もあるが)日本にもやって来るのだということを、我々も考えなければならないだろう。
もちろん、それ以前に忘れてはならないのは次の小学生の言葉ではないだろうか。
「モンゴル産のウラン燃料を使って日本で発電をしてそのゴミはモンゴルに返す。だれかの考えが新聞に書いてあった。私は買ったものでゴミが出たら自分たちで片付けなきゃいけないと思う。物を買ったら最後まで責任をもたなきゃいけないと思う」
上田市塩尻小6年(信濃毎日新聞2011年9月17日東信版・ぽえむ= モンゴルと日本より)
(一部画像を除きます)