『核廃棄物をモンゴルに捨てる』と言っている張本人を核エネルギー庁より上のレベルで探すべきです アカデミー正会員 B.チャドラー
モンゴル国立科学アカデミー物理技術研究所所長・アカデミー正会員B.チャドラー博士にインタビューした。
「私には政治的な野心や私利私欲などありません」
インタビューのため何度も電話をかけさせていただきましたが、この数日間つながりませんでした。海外へお出かけでしたか。どのようなお仕事でご出張されていたのでしょうか。
ほかの専門家といっしょに原子力発電所について意見交換し、どのような助言を受けることができるかについて米国で調査し、帰国したばかりです。福島での事故後、世界中で様々なレベルの会議やミーティングが多く開催されています。私の専門は核物理学で、エネルギー分野において過去30年間働いてきました。この分野の新しい技術に将来性があるかどうかについて研究し、モンゴルへの導入を常に考えながら仕事をしてきた立場で、米国だけに限っても今年に入って3回訪問しています。ほかにも日本・ロシアなど多くの国を訪問しました。多忙な日々で、世界の大きな潮流に乗り遅れることなく情報収集できるチャンスの多かった一年になっています。
先生は核物理学がご専門です。私たちモンゴル人は、核エネルギーの利用や核廃棄物の保管について議論するどころではなく、すぐに恐怖感に駆られてしまいます。世界を震撼させた福島の事故については今も語られ続けています。これについてご意見をお聞かせ下さい。
核エネルギーにどんな意味があるのか、将来性はあるのか、ウランの問題、そして核廃棄物というのは一体何なのか、どのようにしてできるのか、その技術について私は専門家として関心をもって現場で調査してきたので、知識が豊富です。ところが海外から戻って来て、人々の話やニュースを聞くと、国民の間にひとつの誤解が蔓延しているようなのです。専門家として国民に正しく理解をしてもらおうと思っています。インタビューに応じているのもそのためです。私には政治的野心や私利私欲は全くありません。国民はあらゆることを正しく理解する必要があります。誤った言動によって国民を惑わせるような無責任な社会は危険だと思います。最近、とりわけ私が米国に行って後、政府が「核エネルギー」と言うと、何か恐ろしい化け物か何かのように理解されるようになってしまいました。実際にはどうなのかと言うと、私が最近行ってきた場所、面談した人々、会議で挨拶したり発表したりしている学者・政治家・政府の担当官の話によれば、核エネルギーの利用は環境にやさしく、比較的廉価な未来のエネルギーであることに間違いありません。これ以外にはエネルギーを得る方法が見つからないのです。ほかの抜け道や選択肢はないと考えられます。最近、米国を訪問した際、オバマ大統領が「囲いの中に座っているだけではもっと遅れることになります。囲いの中から抜け出す必要があるのです」と言っていました。原子力問題を担当する米国エネルギー省ダニエル・ポネマン副長官は「人類史において技術革命は3回起きています。その3回目が今起こっているのです。再生可能エネルギーと核エネルギー革命です。この革命に参加しない国は世界の発展から遅れることになるでしょう」と私たちに説明してくれました。さらに言うなら、私たちが面談した著名な専門家のほとんどは、福島の事故は核エネルギー開発にとって障害になるのではなく、未来の発展にとって強い牽引力になり得ると言っています。
そのような結論に至った根拠は何でしょうか。
それは、どこにミスがあったのか、何がいけなかったのか、どの部分が壊れたのか、注意が足りなかったのはどこなのか等、福島の事故が教えてくれたからです。現在、極めて高いレベルで、欠陥のない技術に裏付けられた核エネルギーを世界に広げるべきであると専門家は考えています。ところが、わが国の新聞には「世界中の国々は核エネルギーの利用を拒否し始めた」とまで書いてあります。これは全くの嘘です。世界中の全ての国が核エネルギー開発に積極的に参入し始めているのです。政治や市場の問題でドイツや西欧のいくつかの小国が拒否していますが、それらの国を取り巻く国々、つまり、ロシア・フランス・英国その他の国は核エネルギーの利用にいっそう積極的な政策をとり、この分野の投資を何倍にも増やしているのです。
「わが国に原発を建設します、そうすべきです」
核エネルギーの利用に対してアジア諸国はどのような立場でしょうか。
中国は過去数十年、120基の高出力の原発をモンゴル国境沿いに建設する準備を進め、そのいくつかはすでに建設が始まっています。今後も建設計画を作成し実施していく方針です。建設しているのは、ロシア・フランス・米国です。中国自身でも建設しています。では、私たちはどうするのかと言う問題が自然に出てくるでしょう。何よりもまず、国会で承認された「国家計画」や多くの「国会決議」に「モンゴル国は近い将来、原発を建設する段階的な方策をとる」という決定が盛り込まれていることを考慮すべきです。これらの決定を実行するため、私たちは積極的に動くべきなのです。専門家である私たちがやらなければ一体誰がやるのでしょうか。私たちはこの方面で尽力しています。様々な方策の一つが、首相直属の核エネルギー庁の設置です。同庁では、優秀で若いアカデミー正会員S.エンヘバトが長官を務めています。彼の最大の功績は、モンゴルの核物理学者をまとめてひとつのチームを編成したことです。私たちのチームの意見は、たとえ政府が変わっても近い将来モンゴルに原発を建設することです。固い決意と希望を抱いて仕事をしています。原発のことを人々は誤解しているのです。私は世界中の多くの原発を実際に見て調査してきました。米国で初めて原子力を利用して発電した発電所とアイダホ州にある国立ラボを視察してきました。オブニンスクにあるロシアで最初の発電所とそれ以降に建設されたほとんど全ての発電所に行って調査しました。調査の結果、将来どのように発展していくのかということも理解できました。わが国に原発を建設します。建設すべきなのです。先ほども言いましたが、わが国には原発についての誤解があります。みんなが誤解にもとづいて発言し続ければどうなるでしょう。みんなが誤解してしまいます。全ての原発は、大型の原発、例えば福島やチェルノブイリのようなものだとみんなが理解してしまいました。原発には様々な規模のものがあります。例えば(机の上から英語で出版された写真入りのパンフレットを取り出して見せながら)、モンゴルに将来建設される原発に関するガイドラインが米国の学者によって作成されています。
どんな発電所を提案しているかと言うと、25メガワット、45メガワット、100~300メガワット、600、1000メガワット規模の原発について詳細に説明して提言しています。この小型原発は構造に特徴があります。例えば、ウランによって動く原子炉、つまりエネルギーを発生させる部分は密封されているのです。10~20年間稼働したら、製造会社から人が来てその部分を交換して持って行ってくれます。そうすれば、原発が稼働している地域にはいかなる廃棄物も残りません。規模も小さく、机と同じくらいで、長さ1.5メートルほどですが、その発電能力はエギーン河・ドゥルグン・タイシルの水力発電の現在の発電量の2倍です。それを地下に設置するのです。もし25でなく50メガ、あるいはそれ以上の発電能力をもつ第三・第四発電所規模の原発を建設するなら、10基いっしょに建てるということです。全てを地下に設置するので全く危険はありません。このように私たちは様々な原発について議論しているのです。このようなやり方で初期段階は始まるのではないでしょうか。私は現場で実際に見てきました。とてもコンパクトです。西側のマスコミでは「台所用発電機」などと書いている場合もあります。この原発には害や危険がほとんどないと言ってもいい。ただし、危険が全くないかと言えば、そうではありません。私が今インタビューを受けているこの建物が倒壊するとは、あなたも私も誰も考えないでしょう。しかし、どんなことが起こるかはわからないのです。そうでしょう。原発について現在3つのことが言われています。安全・安全な状態・安全な状態が完全であること、「SSS」と呼ばれる原発からたったの一基を持ち込むのです。これについては、すでに協定・契約を核エネルギー庁が多くの国々と締結しています。全く何もしていないのではなく、初めからそうしているのです。専門家として仕事を任されているので、韓国・米国・その他の国々と原発建設について協議しています。この仕事は実現するでしょう。
「地下資源が枯渇した国は物乞いになって、党が乱立、内戦でその歴史を閉じる」
第五発電所を建設することになっていますが、その建設には少なくとも5~6年はかかると言われています。原発であれば、どのくらいの期間で建設できるのでしょうか。
もっとも驚くべきことは、小型の原発ならほんの3か月で組み立てられることです。現在協議中の第五発電所の能力は300メガワットで、5~6年かけて建造される一方、原発の能力はそれ以上で、廃棄物も出ず自然にやさしい。また安全であることも前に言及した通りです。私たちも早くこの方向に進むべきです。なぜこのテーマを取り上げ、原発についてお話しているのか。一般市民、また経験豊富な知識人の立場で言うと、鉱物資源やレアメタルのために土壌を掘り続けていく行為は、未来の世代に掘り返した荒れ地を残し、わずかなお金で自国を売りとばす行為にほかなりません。怒りを覚えると共に非常に残念です。鉱物資源を加工して利用するためには何が必要でしょうか。何よりもエネルギーが大量に必要です。わが国の石炭の埋蔵量は非常に大きい。それによってエネルギーをつくって利用することもできます。しかしながら、外国の専門家はこのように言っています。「モンゴルの石炭には非常に多くのウランやトリウムなどの放射性物質が含まれています。つまり、有毒ガスを放出するので、それを使って生活すると人々は不治の病にかかるだけでなく、ゴビやステップ地帯はそのまま砂漠になってしまうでしょう」。遊牧の国が砂漠になってしまえば、将来どうやって暮らしていくのですか。このようなことが起これば、非常に残念で恐ろしいことです。これが原因でモンゴルの経済の自立等が危険にさらされる可能性があります。このような危険な状態になることを、私は10か国以上の学術機関に選ばれ、生涯をかけてこの分野の仕事をしている人間として、資源を枯渇させ山盛りになった土壌に空っぽになってうち捨てられたアフリカやラテンアメリカの多くの国のことを知る立場で、非常に心配しています。資源が枯渇した国は物乞いになり、党が乱立して混乱し、物事を武力で解決するようになって、内戦でその歴史を閉じていくのです。このことを考えると心が痛みます。再生可能エネルギーと原子力発電所は「全世界のエネルギー」と呼ばれており、それに歩調を合わせて進むべきなのです。わが国は国際社会のメンバーであり、進む道はひとつで、協力して発展すべきなのです。ひとりで流れに逆らっても勝ち目はありません。
「この問題は核の専門家の間では協議されていない」
ひとつお聞きしたいことがあります。モンゴル国政府は核廃棄物の埋設について秘密で協議し、協定を結んでいるという情報が『毎日新聞』に掲載されて以来、世界中の主なウェブサイトでこれが引用されました。わが国の各日刊紙も注目して取材を続けています。政府外務省は「そんなことはない」と否定しました。ところが、先週末、核エネルギー庁のS.エンヘバト長官が「それに関して非公式協議があったことは事実だ」とメディアで自身の立場を表明しました。大統領がこの問題に注目し、責任の所在を明確にするよう指示を出したと発表しています。これについて先生もお聞きなっていることでしょう。どのようなお立場ですか。
私は、核廃棄物とは何か、それをどこに廃棄するのか、どんな技術を使うのかについての知識を専門家としてもっています。ロシアを代表する教授たちが私たちを教育したのです。これ以外にも多くの学者たちと会って話し合い、世界中で出された最新の文献・新聞記事を読んで研究しているのでよくわかっています。核廃棄物をモンゴル国で保管する必要はありません。法律で禁じられています。私は2000年、国会議員だった頃に核廃棄物をモンゴルに廃棄したり保管したりしてはいけない、さらに、領土内を輸送させてもいけないと法制化するため積極的に尽力したため人々の怒りを買いました。当時も核廃棄物の廃棄について今のように議論が沸騰していました。「その一部でもモンゴルに埋めてくれるなら何十億ドルを支払う」と言われ、ある議員はあからさまに嫌悪感を表していました。当時「私は専門家です。皆さんは黙っていて下さい」と言って、法律を承認させたのです。議事録は現在でも公文書館にあります。記者の皆さんはそれを読むべきだと思います。それ以来、私は頑固にその立場を守っています。当時の国会議員は私たちの言うことを聞いて「モンゴルに核廃棄物を保管してはいけない」という法律を承認し、それに沿って関係文書も出されたのです。したがって、核廃棄物を廃棄する問題は常にいけないのだと固く信じています。ところが、この問題が最近盛んに語られていると耳に入ってくるようになりました。新聞やメディアのニュースは当然フォローしています。国内外のあちこちに行って、それについて語っている人々に注目し観察するようにしています。ひとつだけ言っておきたいと思います。この問題は専門家の間では全く協議されていませんし、協議されることもないでしょう。なぜなら、専門家は核廃棄物を自国に保管するのは嫌いだからです。「いけないでしょう?」と質問すれば、はっきり否定くれるでしょう。まだ時が成熟していない問題だと保証してくれます。わが国には豊富な鉱物資源・原料があるにもかかわらず、核廃棄物によって豊かになろうというのですか、そうではないということを私たちは保証します。これはうまくいきません。このことを理解している人はたくさんいます。これを問題にしようとする人、協議している人がいれば、法律違反で責任を取ることになるでしょう。法律に背けば、その責任を取るべきです。そんな人を専門家の中から探しても見つからないでしょう。100パーセント保証できます。核エネルギー庁の中にもいません。私もよく知っています。私たちは皆で力を合わせ、チームワークで仕事を進めています。どうやらこれより上のレベルで協議がなされているようです。私はそう考えています。「見つけたいなら、もっと上のレベルを探せ」と言いたいです。そのレベルで探すのは一般の人には無理でしょう。もし核廃棄物の処分について語って火遊びのようなことをしているのなら、すぐに「やめなさい」と言いたい。そうでなければ、高い山の頂きを麓から見上げて叫ぶ以外の何者でもないでしょう、私たちは。核廃棄物の保管など、あってはならない問題です。核廃棄物施設というのは何か、いくらかかるのか、どんな技術を使用するのか、どの国がどこで保管しているのかについて私たちはほかの誰よりも過不足なく説明することができます。核物理学者たちはみんなで話し合っているのです。何が核廃棄物施設だ、誰がどこで何を言っているのだろうか、とお互いに尋ね合っていますよ。気持ちを落ち着かせようとしているのだろうか。思いつきをシェアするために核廃棄物の問題を取りあげているのなら、モンゴル人がどう反応するか、国民がどのように受け取るかについて試す実験なのかも知れません。私たちはお互いそのように話し、想像し、気持ちを落ち着かせるようにしています。メディアを使ってこのような研究をする実験が世界には実際にあるのです。第二次大戦時にも同じようなことがありましたし、冷戦時にも繰り返されています。それ以降もたくさんありました。その程度のことなのです。わが国のメディアでも、ある人を陥れるために対立する側を支持する番組を放送しています。その可能性も否定できないと、私たちは静観しているところです。最後に、これら全てのことから私が大変喜んでいることがひとつあります。
それは何でしょうか
わが国の国民もまたまだ捨てたものではないなということです。自国の独立、未来の世代に害が及ぶ行動がなされようとすれば、「いっしょに声を上げよう」「力を合わせよう」「デモをしよう」「命をかけてもよい」という人がいるらしい。そのことを知って、私は本当にうれしいのです。国民がいる。国民が何かを残します。ほとんどみんなが誤った考えで、あちこちの決定を出して、金銀が入った箱を、何千年も血を流して守ってきた鉱物資源を、まるで私たちだけで分けて食べ尽くして枯渇させ、あちこちに運び込んでいるのに、誰も声を上げないので、私は悲しい思いをしていました。私たちに何が起こっているのか。このようにして歴史を終えていくのか、衰退とはこういうことなのかと、非常に恐れていたのです。ところが、核廃棄物の処理に国民が声を上げて反対したことによって私は勇気づけられ、「国民が存在しているのだ」「力を合わせる人がいるらしい」ということを知りました。必要ならば、力を合わせましょう。ただ私たちにはなかなか尋ねてくれないのです。専門家の声に耳を傾けようとインタビューしてくれたので、意見を述べさせてもらいました。私の考えていることは大体このようなことです。